what the hell
全世界から大反響のあった「立てよ紳士」シリーズですが、恐らく続きはもう来ません。
言い訳はしません。だるいからです。
すごく残念です。すごく面白いのがいっぱいあったのに。
残念だなあ。
そもそもあほみたいな量のレポートを抱えて現実逃避で書き始めたのですが、やっとの思いでそれを出したと思ったら更にうんこみたいなレポートが出てきたものでそれを書き上げました。昨日完成しました。
とりあえず実習も終わり、レポートも提出したので多分もうすぐヘルパーになれると思うんですが
つい最近、たまたまネットサーフィン中に入手した情報によると、もうすぐヘルパーは消えるらしいです。
しかも7年ぐらい前から言われてたそうです。
笑った。
そんなこんなで僕は帰ります。
僕の生まれた街へ帰ります。
まだ帰れるかは分からないけれど、帰る場所はないけれど、不動産屋を見に、帰ります。
長かったようで、クソ長かった。
東京も変わってしまったし、友達も変わってしまったし、僕も変わってしまったから
きっとまた寂しく思う。
でも僕には、あの生ゴミの匂いと汚い空がどうしようもなく、故郷です。
それも変わってしまったかもしれないけれど。
しばらくお邪魔しない間に、こんな紳士でイケメンなブログなんかをリンクしてくれていた方が2名
ブログを閉鎖していたようでした。
事情はあっても見ることができませんでしたが、とても寂しいです。お心当たりの方は連絡をくれた上ですぐに再開してください。
いつもそう。
小学校に入ったばかりの時、ペットショップの前に小さな柵が作られていて、そこに子犬が7〜8頭入っていました。
皆兄弟で雑種。真っ黒だけど、1頭だけ元気のないベージュの子犬がいました。
僕は日が暮れるまでそこにいて、その犬を撫でていました。
帰ってから僕は、多分今までの人生でそれ以上こねたことのない大だだをこねました。
1週間近くこね続け、やっと許しを得ました。
もしも僕の言う、あのベージュの子がまだいたらという条件で。
急いでペットショップに向かうと、ベージュの子犬は一頭だけで寂しそうに、柵の中にいました。
クッキーと名付けたその犬は、僕を見て笑いました。
僕が泣いている時、涙を舐めてくれました。
僕が寂しい時、いつまでも傍にいてくれました。
高校2年の春、晴れた日の朝、クッキーはいつもみたいに僕を見ませんでした。
僕を見て、駆け寄っては来ませんでした。
固く、平べったくなって、二度と動きませんでした。
泣いて、すがりついて、遺体を引き取りにきてくれた業者さんに迷惑をかけ、抱いて、泣いて
何日かずっと、空き家になった犬小屋の前にいました。
でも僕には分かっていたんです。
失えばこんなに涙が出るのに、こんなに大切に思っていたのに、僕はその涙に値するほど
あの子を大切にしていなかった。
もしも一方通行であっても、言葉が通じたなら、僕はそれを口にしただろうか。
多分しなかった。
僕は僕の寿命を分けて、死ぬ時を一緒にしてほしいと願っていたけど、それが叶わないことを知っていた。
そして僕は、僕の人生をクッキーに分けることさえしなかった。
それは叶えられることを待つことなく、出来たことだった。
僕はおばあちゃんが大好きでした。
おばあちゃんがいてくれれば、僕の全ては満ちて、足りました。
彼女は誰よりも早く、僕の周りからいなくなりました。
一度たりとも、大切にしませんでした。
悲しくて、「どうして」と思いました。
「どうして僕からいなくなってしまったの」と思いました。
いなくなっても尚、自分の事しか考えません。
僕は欠落した人間です。
それを補おうとすればするほど、欠けていきます。
人が喜んでいる時、一緒に喜ぶことが出来ません。
人が悲しんでいる時、一緒に悲しむことが出来ません。
しずかちゃんのパパが言っていました。
「それが人間にとって一番大切なことなんだからね」と。僕もそう思います。
19歳の終わりから24歳まで、仙台に住んでいました。
とてもいい人達が、僕を支えてくれました。心からそう思えないし、もちろんそれは後になってやっと気付いたことですが、僕が仙台で過ごしたことを話せば、誰もが言うと思います。
「とてもいい人達に支えられたんだね」と。
気付いてから、地震が起きました。
テレビはやっぱり見る気がしなかったけど、どうやら相当ひどいということで、ニコニコ動画からNHKの放送をしばらく追いました。
見たことのある景色が見たことのない画像に変わっていても、僕の心は動きませんでした。
本当に、本当にお世話になった人達も、軽くメールで安否を確認しただけです。
家族を失った人が泣き、それを見た全く縁のない人が泣く。
僕にはむしろ、そのことが悲しくなりました。
そのことだけが僕を悩ませて、煽りました。
知らない人のために、知らない人の流す涙が、どうしてもわからない。そしてそれは、僕にはもうわかることが出来ないらしい。
翌日に、自分の為に5万円を振り込みました。
何かが変わるかもしれない。
でも変わりませんでした。
募金をした。ボランティアは邪魔になるだけだから、お金を送るのがベストだ。自分はベストを尽くした。
自己満足と自己完結。
それだけが生まれ、それがまた僕を損ないました。
全く縁のない人ならそれでいいかもしれない。
だけど僕は4年半も住んでいて、そこにはすごく好きな人達がいた。いや、いる。
なのに何も感じることなく、自分の為に募金をしただけだ。
「じゃあどうしたらよかったのか」と思う。でも僕はその答えを知っている。
悲しめばよかった。
僕は好きな人が死んでしまうことや、生まれ育った街が変わってしまうこと、そこにいられないこと、全部の悲しみを知っている。恋の終わりも知っている。
僕の知らないことは、しずかちゃんのパパがそれほど大切ではないと判断するようなことばかりだ。
僕は何もかも知っている。
一昨日、先月まで働いていた職場のお客さんが、事故で亡くなった。
少し気難しい性格で、他のお客や従業員からは大抵嫌われていた。
でもその人は僕のことをすごくかわいがってくれたし、僕はその人が好きだった。
僕は驚き、そして悲しむべき立場にある。
元職場に連絡を取り、こちらから手を合わさせて頂くべき立場にある。
それは世間的にそうなのではなく、僕と彼はそうするべき関係にあった。
事故のことを後輩から聞いた僕は、「そっか。」と言った。
後輩は僕と死んだ彼が、親密なのを知っていたから報告したわけではない。ただ、「あった出来事」の一つとして話しただけだ。
僕にはそれが、都合良かった。
僕は欠けてしまったのではなく、失ってしまった。
もうしずかちゃんのパパが、僕との結婚を許すことはない。
じゃあ駆け落ちをするだろうか。
僕はいつか失う前に、それを抱きしめるだろうか
言い訳はしません。だるいからです。
すごく残念です。すごく面白いのがいっぱいあったのに。
残念だなあ。
そもそもあほみたいな量のレポートを抱えて現実逃避で書き始めたのですが、やっとの思いでそれを出したと思ったら更にうんこみたいなレポートが出てきたものでそれを書き上げました。昨日完成しました。
とりあえず実習も終わり、レポートも提出したので多分もうすぐヘルパーになれると思うんですが
つい最近、たまたまネットサーフィン中に入手した情報によると、もうすぐヘルパーは消えるらしいです。
しかも7年ぐらい前から言われてたそうです。
笑った。
そんなこんなで僕は帰ります。
僕の生まれた街へ帰ります。
まだ帰れるかは分からないけれど、帰る場所はないけれど、不動産屋を見に、帰ります。
長かったようで、クソ長かった。
東京も変わってしまったし、友達も変わってしまったし、僕も変わってしまったから
きっとまた寂しく思う。
でも僕には、あの生ゴミの匂いと汚い空がどうしようもなく、故郷です。
それも変わってしまったかもしれないけれど。
しばらくお邪魔しない間に、こんな紳士でイケメンなブログなんかをリンクしてくれていた方が2名
ブログを閉鎖していたようでした。
事情はあっても見ることができませんでしたが、とても寂しいです。お心当たりの方は連絡をくれた上ですぐに再開してください。
いつもそう。
小学校に入ったばかりの時、ペットショップの前に小さな柵が作られていて、そこに子犬が7〜8頭入っていました。
皆兄弟で雑種。真っ黒だけど、1頭だけ元気のないベージュの子犬がいました。
僕は日が暮れるまでそこにいて、その犬を撫でていました。
帰ってから僕は、多分今までの人生でそれ以上こねたことのない大だだをこねました。
1週間近くこね続け、やっと許しを得ました。
もしも僕の言う、あのベージュの子がまだいたらという条件で。
急いでペットショップに向かうと、ベージュの子犬は一頭だけで寂しそうに、柵の中にいました。
クッキーと名付けたその犬は、僕を見て笑いました。
僕が泣いている時、涙を舐めてくれました。
僕が寂しい時、いつまでも傍にいてくれました。
高校2年の春、晴れた日の朝、クッキーはいつもみたいに僕を見ませんでした。
僕を見て、駆け寄っては来ませんでした。
固く、平べったくなって、二度と動きませんでした。
泣いて、すがりついて、遺体を引き取りにきてくれた業者さんに迷惑をかけ、抱いて、泣いて
何日かずっと、空き家になった犬小屋の前にいました。
でも僕には分かっていたんです。
失えばこんなに涙が出るのに、こんなに大切に思っていたのに、僕はその涙に値するほど
あの子を大切にしていなかった。
もしも一方通行であっても、言葉が通じたなら、僕はそれを口にしただろうか。
多分しなかった。
僕は僕の寿命を分けて、死ぬ時を一緒にしてほしいと願っていたけど、それが叶わないことを知っていた。
そして僕は、僕の人生をクッキーに分けることさえしなかった。
それは叶えられることを待つことなく、出来たことだった。
僕はおばあちゃんが大好きでした。
おばあちゃんがいてくれれば、僕の全ては満ちて、足りました。
彼女は誰よりも早く、僕の周りからいなくなりました。
一度たりとも、大切にしませんでした。
悲しくて、「どうして」と思いました。
「どうして僕からいなくなってしまったの」と思いました。
いなくなっても尚、自分の事しか考えません。
僕は欠落した人間です。
それを補おうとすればするほど、欠けていきます。
人が喜んでいる時、一緒に喜ぶことが出来ません。
人が悲しんでいる時、一緒に悲しむことが出来ません。
しずかちゃんのパパが言っていました。
「それが人間にとって一番大切なことなんだからね」と。僕もそう思います。
19歳の終わりから24歳まで、仙台に住んでいました。
とてもいい人達が、僕を支えてくれました。心からそう思えないし、もちろんそれは後になってやっと気付いたことですが、僕が仙台で過ごしたことを話せば、誰もが言うと思います。
「とてもいい人達に支えられたんだね」と。
気付いてから、地震が起きました。
テレビはやっぱり見る気がしなかったけど、どうやら相当ひどいということで、ニコニコ動画からNHKの放送をしばらく追いました。
見たことのある景色が見たことのない画像に変わっていても、僕の心は動きませんでした。
本当に、本当にお世話になった人達も、軽くメールで安否を確認しただけです。
家族を失った人が泣き、それを見た全く縁のない人が泣く。
僕にはむしろ、そのことが悲しくなりました。
そのことだけが僕を悩ませて、煽りました。
知らない人のために、知らない人の流す涙が、どうしてもわからない。そしてそれは、僕にはもうわかることが出来ないらしい。
翌日に、自分の為に5万円を振り込みました。
何かが変わるかもしれない。
でも変わりませんでした。
募金をした。ボランティアは邪魔になるだけだから、お金を送るのがベストだ。自分はベストを尽くした。
自己満足と自己完結。
それだけが生まれ、それがまた僕を損ないました。
全く縁のない人ならそれでいいかもしれない。
だけど僕は4年半も住んでいて、そこにはすごく好きな人達がいた。いや、いる。
なのに何も感じることなく、自分の為に募金をしただけだ。
「じゃあどうしたらよかったのか」と思う。でも僕はその答えを知っている。
悲しめばよかった。
僕は好きな人が死んでしまうことや、生まれ育った街が変わってしまうこと、そこにいられないこと、全部の悲しみを知っている。恋の終わりも知っている。
僕の知らないことは、しずかちゃんのパパがそれほど大切ではないと判断するようなことばかりだ。
僕は何もかも知っている。
一昨日、先月まで働いていた職場のお客さんが、事故で亡くなった。
少し気難しい性格で、他のお客や従業員からは大抵嫌われていた。
でもその人は僕のことをすごくかわいがってくれたし、僕はその人が好きだった。
僕は驚き、そして悲しむべき立場にある。
元職場に連絡を取り、こちらから手を合わさせて頂くべき立場にある。
それは世間的にそうなのではなく、僕と彼はそうするべき関係にあった。
事故のことを後輩から聞いた僕は、「そっか。」と言った。
後輩は僕と死んだ彼が、親密なのを知っていたから報告したわけではない。ただ、「あった出来事」の一つとして話しただけだ。
僕にはそれが、都合良かった。
僕は欠けてしまったのではなく、失ってしまった。
もうしずかちゃんのパパが、僕との結婚を許すことはない。
じゃあ駆け落ちをするだろうか。
僕はいつか失う前に、それを抱きしめるだろうか
